新しいHPのお知らせ

更新を滞り、しばらく開店休業中のブログになっており失礼いたしました。

管理者自身がログインするための情報を忘れたほどです(苦笑)

いろいろ試して、なんとかログインできました。

 

さて、昨年の9月に初段から弐段に昇段させて頂き、澄月会発足をして今年の春でまる3年になります。

そこでHPを新たに自分で作ってみました。

 

最初のHPは近江工房の野田さんに大変お世話になり制作していただきました。

こちらも澄月会の発足時の初心も忘れたくないので過去ログとして残しておく所存です。

 

そして新しいHPのURLは、

合気道 澄月会 HP

です。

 

澄月会ができて三年の月日が経ち、これからの澄月会発展に向けて、現時点の私のありのまま、すなわち澄月会のありのままを書き連ねています。

 

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

反知性とは

内田先生の本日のつぶやきをこちらにてリツィートさせて頂きます。

 

反知性とは「葛藤に耐えられないこと」なのかなと思いました。シンプルでクリアカットな「物語」を求めること自体はたしかに知性の働きなんだけど、それに居着くととたんに知性の働きは停滞してしまう。「すっきりしたい」けど「すっきりする」と生命力の衰えを感じてしまう。そういうことかな。

御意!!

まもりたいもの

道友の湯浅さんのBlogを紹介させていただきます。
わたしも地元で整体ヨガ教室主宰して15年、そして合気道稽古会として澄月会を発足してもうすぐ2年になりますが、同じようにその間いろいろとあり、内容に共感しました。

「ま、いいか」とテキトーに「いい顔」なんかしない。

譲れないことがある。

それは護りたいもの。

だれかれ構わず安易にいい顔などしてられない。

 

【合氣道03/25】優先順位 - PLATFORM

 

 

場を主宰する

昨日の澄月会の稽古場のあるシーンで「自分が場を主宰するつもりで」と言葉をかけた。

場を主宰する とは、何も権利権限を振り回すということではない

 むしろ義務と責任を自ら積極的にとってゆく という意味でとらえるといい

 世の中の多くの人は義務や責任を回避したがる

そして自分の自由は主張したがる。 

 だからこそ自分の立場をわきまえた義務や責任を積極的にとりにく

 場を主宰するとは そういうことではないか。

 積極的に生きるとは

 先の先をとるとは、そういうことではないか

 

自分で口にしながら心の底からそうだよなぁと思ったのであった(笑)

 

 

 

 

時間と場所

少しちょっと前まで「時間と場所」のことを何度か考えていた。

「時間と場所」は「場所と時間」でもいいのだが、

やはり「時間と場所」だと私にとっては思う。

 

それは「どこに身をおくか」という「場所」も非常に重要なのだが、

どの時間にどの場所に居るか、は、とても重大なことだからだ。

 

これが10分前だったら、これが10分後だったら

世界は雲泥の差 ということは

誰にとっても理解できることではないかと思う。

 

何かの事故や事件や天災に巻き込まれる時もそうだ。

 

合気道でいう「先の先をとる」ということにもきっと通ずると思うし

もっというと合気道の稽古の現場以上に

自分の日常という「人生の本番」において

どの「時間」にどの「場所」に居るか、過ごすか、

何につとめ、何を果たすか

自分の人生に確実に影響を与えている。

 

 

器に合わせすぎては、学びは起動しないのです。

内田先生の記事、リンクさせて頂きます。

 

内田樹「器に合わせすぎては、学びは起動しないのです」 神戸女学院大学教授 内田樹 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

 

「先生がこんなにすばらしいものを贈ってくれたのに、自分はそれを受け止めるためにこんなに貧しい器しか持っていないという疚(やま)しさ、気後れ、それが人間を成長に導くのだと思います。」(本文より一部抜粋)
 
ほんとうに今の段階の自分レベルの話ですが、続けていれば続けているだけ、そのことに深く気づかされるものです。
 
また、インタビュアーの質問

「師匠」「メンター」に出会えるかどうかが、非常に大切な気がします。メンターとの出会いは、運任せ、巡り合わせ次第なんでしょうか。

 

に対して、

 

内田 いや、それは「運」ではなく、「センサー」が自分に備わっているかどうかだと思いますね。僕が自由が丘道 場に入ったのは1975年。それから約35年が経って、僕の後にはもう1000人以上の入会者がいると思うけれど、そのうち5年以上稽古を続けている人と なると、たぶん30人ぐらいしかいない。多田先生のような世界的なレベルの武道家に、直接教えてもらえる場所でも、ほとんどの人はすぐにやめてしまう。黒 帯取るまでやって止めてしまう人もいる。つまり、多田先生のような達人の教えを直接受けても、ほとんどの弟子は自分が教わっていることの例外的な価値に気 がつかなかった。そういう人たちを「運が悪くて、メンターと出会えなかった人」というわけにはゆかないでしょう。どんな幸運でもそれが自分のかたわらを通 り過ぎたときに気づかなければどうにもならない。

 

上記の先生のお応えには非常に響くものがあります。



自分が何を授かっているのか

どういうものを贈与されているのか

 

その贈与のされ方は常に心地よいわかりやすいものとは限らない

いやむしろ、???という謎だらけであったり

時には不安に陥る感覚もある

今ままでにない経験、体験、師からのレスポンス

 

 

今は授かっているものの何たるかの全貌はわからないのだけれど

「この先に自分の知らない何かがある」と予見できる能力こそ

センサーなのではないかな、と私は思います。

 

センサーは持って生まれたものというよりは、自分で養って行くものであるし、

「学ぶ意欲」「学ぶ意志」そのものではないかと私は思います。

 

 
 

新人歓迎会&昇級祝賀会

9月15日(月)夜

近江牛の焼き肉屋、万葉さんにて♪

9月2日の凱風館の朝稽古後、内田樹先生の審査のもと、

澄月会からまた二人、昇級をさせて頂きました。

内田先生、ありがとうございました。
凱風館のみなさん、ありがとうございました。


そしてその後、新しい方が体験、入会。
大変うれしいこと続きで、祝賀&歓迎会を行いました。

振り返ると門人が昇級すると同時に新しい方が門を叩く という

「澄月会の法則?」があるようで、
ますます私の元に集まってきてくれた門人に感謝し、

仲良く、けれど馴れ合いのなぁなぁの関係ではなく

きちんと自分が師から教わっている合気道の世界を

伝えてゆけるように

地元で良い合気道の輪と和を広げてゆけるように

精進したいと心に誓いました。

澄月会のみなさん、これからもどうぞよろしく♪

 

 

 

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