シリウスを見よ


多田塾甲南合気会佐藤友亮先生のホームページをお許しをいただいたので、シェアさせて頂きます。佐藤先生、リンクをはらせて頂きありがとうございます。

合気道をしている方にも、合気道って名前は聞いたことがあるけど、やったことない、どんなものなのか想像もつかない方にも、是非、読んで頂きたい佐藤先生によるコラムです。

合気道の体術で組する相手との「非言語コミュニケーション」を通し、佐藤先生が相手から感じ取っておられること、合気道に対するそれぞれの思い、在り方、読んでしばらくたってから、私はスーッと涙が出てきました。

それがどいう涙なのか、自分でも全くよくわかないのです。

わからないから、わたしは合気道を続けていくんだと思います。

以下の文はコラムから引用抜粋させていただいております。
(でも是非、全文読まれることをお薦めします。)
 
 

「大川君へ語る私的身体論」③ 合気道家と愛猫家 | 佐藤友亮のホームページ

 

合気道の稽古中、稽古相手から受け取る情報入力のほとんどは非言語的なものです。そして、それが個人の中で部分的に言語に変換されます。例えば、合気道の 身体接触を通じて、「この人、真面目な人だなあ」とか、「いま、疲れてるんだな」とか「見栄っりだな」とか、「お母さんみたいな人だなあ(男なのに)」と か、このような形で非言語的な情報が言葉に変わっていく。

一方、それがあまり上手くいかない時には、言葉になりきらない体感が「宿題」あるいは、「無形文化財」みたいな感じで体に残る。

私は、合気道の稽古は、決まった体感や状態を得るためにするものではないと思っています。特定の体感を求めて動くというのは執着的な稽古になりやすく、武道ではそのような状態をあまり良しとしないようです。