【風立ちぬの感想2】 ※註 ネタバレあり

【風立ちぬの感想2】(ネタバレ要注意)

映画を未見の方は先入観を持たれるとよくないので、どうぞ後でお読み下さいませ。

別にそんなに気合いいれて映画見てねーよ、という方は、どうぞ(^^;)

「ピラミッドのある世界と、ない世界、どちらがいいか」
映画の最後で二郎に問いかけられるシーンです。

なんというセリフ
なんという分かりやすすぎるメタファー
(そういう意味では子どもにたいそう配慮して作り込まれている!?)

あえて
「美しい零戦がある世界と、ない世界、どちらがいいか」
(こちらの方が残酷で、なおかつ戦争肯定という誤解を与えやすいリスクがあるか)
でもなく
「美しい飛行機がある世界と、ない世界、どちらがいいか」
でもない

「ピラミッドのある世界と、ない世界、どちらがいか」

ですよ。

強烈に大人向け?

いいえ、強烈に子どもの成長、人の成熟、人類の進化を促す映画です。

二郎は答える。

「ある世界」と。

これが宮崎からの最後のメッセージだと思うとほんとうに強烈なまでの
宮崎本音映画です。

宮崎は今までは子どもやおとなに自分の才能を(サービスして)捧げてきた。

この映画で宮崎は、はじめて自分の才能を自分のために使った といって過言ないと思います。

だから宮崎が正直になった最後の映画なんです。(たぶん?)

ピラミッドはまさにピラミッドです。

そして=ピラミッド社会、階層社会のことも指しています。

なぜならピラミッドは階層社会がないと造れないものだからです。

あの映画の文脈でピラミッドの存在を肯定することは、
そのままピラミッド社会、上意下達、階級、階層、格差の肯定です

実際、二郎の生い立ちも、妻の生育環境も、そして結婚した居候先でさえ、
あの時代の庶民の生活とはかけ離れた非常に恵まれた上流社会です

宮崎はアニメ制作に自分の人生を捧げてきました。

自分の妻子を養うために自分の妻子を後回しにしてきました。(たぶん)

おそらく宮崎は自分の子どもの小学時代の担任や中学時代の担任の名前も知らないでしょう。

二郎の親友もまた自分の才能を活かすべく、
身を固めるために結婚することの「矛盾」を告白します。

これが宮崎の本音なのです。

才能のあるものは、誰かを踏みに付けにしても、台頭して、その才能を世に還元することが要であり、「人類」にはそれが許される、宮崎はこの映画を通してそう言い切ったのです。

宮崎はこの映画を通して家族に贖罪を乞い、
そしてまたそのように才能に忠実に生きてきた自分に許しを与えた
私は「風立ちぬ」の映画を通してそのように感じ取れました。

ひとつめの感想で私が「この映画は宮崎の贖罪である」と表現したのはそういうことです。