合気道とフェルデンクライス・メソッドの親和性

先 日、内田先生が稽古中におっしゃられたことで印象的だったこと。「合気道が上達しにくい傾向にあるのは中高年の組織人男性….、特に上位下達のワンマン社 長、自分の周りにYesマンしかいない環境の人はまずい。合気道は非中枢的動き。脳の指令を待っているようでは遅い、身体の現場に任す現場主義がよい。」

この言葉がふと「フェルンデンクライス・メソッドは脳を再教育する」という言葉の意味の理解に繋がりました。

フェルデンクライス・メソッドは『身体の動きを通して“気づき”を促すワーク』ですが、最初、フェルデンに出会った時に【脳を再教育する】という言葉に難解な印象がありました。

「教育」じゃなくて「再教育」というところに意味深さがあります。

合気道は非中枢的な動きを提唱する。

フェルデンクライス・メソッドも、合気道同様に上位下達(脳からカラダへ指令する)ではなく、下位上達(身体=現場の動きを通して脳を再教育する)このプロセスを通ることに重きを置いている。

フェルデンクライス・メソッドのティーチャーがなぜ、一切、手本や見本の動きを受講者に見せず、ただひたすら言葉だけで誘導するのか、そのプロセスを通ることの意義に対しても、より理解が深まってきました。

合気道もフェルンデンクライスも「脳は間違う」ということを知っているからだと思います。

脳は全能感を抱いているだけにやっかいなのです。

(※脳も身体の一部ですが、ここでは話をわかりやすくするためにあえて、アタマとカラダに分けての説明にしています。)

フェルデンクライス・メソッド=言葉で聞いて動く=そこから脳が指令を出して動く=しかしなかなかうまくいかない等のなんらかの困難に出会う=自分が長年 積み重ねてきたhabitが顕れ出てくる、脳の間違いがここで炙り出されていく(ティーチャー次第、受講者次第ですが、だいたいこのあたりでフェルデンに イラついてやめるか、この謎を面白がってのりこえてゆけるか、先生も受講者もふるいにかけられる分岐点でもあるかと思います。)=できなかったことができ るように、できていたことがより優雅にエレガントにできるようになる=脳の再教育

今、自分がとらえているフェルデンクライス・メソッドの世界を超ひらたく説明するとこんな感じになります。

合気道は師範が見本を見せて、弟子達はそれを見取り、実際に人と組んで行うことで、師範の教え通りにはなかなか直ぐうまくできない、見本と現実、うまくゆかないという誤差に出会い、また「人と組む」ということを通して、自分の鏡像に出会い、成長してゆく。

一方、フェルデンクライスは先生は一切見本や手本の動きを見せないが、受講者は聞いた通りに行い、それがうまくいかない、イメージがつかめない、どこをど う動かせばいいのか、困難に出会うとき自分のhabitと出会うときで、ここではじめて脳の可塑性を使って脳を書き換えてゆく、OSをバージョンアップさ せていくプロセスに対峙する。

稽古やレッスンの仕方は全く真逆でも、深層でやっていることはどちらも同じ「下位上達」「現場主義」の世界なのだと思いました。

フェルデンクライスを学ぶ人にPT(理学療法士),OT(作業療法士),ST(言語聴覚士)や介護職現場の方々だけでなく、ダンサーや柔術や武道を学ぶ人が少くないことは、こんなことからも、そのフェルデンとの親和性の説明ができる気がしました。